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第1回レゾナンスの会 『レゾナンスとは何か?』 要約

第1回レゾナンスの会 『レゾナンスとは何か?』 要約

第1回レゾナンスの会 『レゾナンスとは何か?』 要約

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宝生明の講話、要約。

二つの同じ音程の音叉があるとき、片方を鳴らすと、もう片方も鳴りはじめる。
この現象を共鳴(レゾナンス)という。

音楽をやる人にスピリチュアルな人が増えてきた気がする。
なんとなくわかるような気がするが、きちんと説明せよと言われると難しい。
科学的な話とスピリチュアルな話の橋渡しのようなことができないかと言われ、そのようなお話会のタイトルは何にしようかと問われたとき、「レゾナンス」という言葉が思い浮かんだ。

僕がはじめて「レゾナンス」という言葉を知ったのは、シンセサイザーを演奏したときのこと。
VCF(ボルテージ・コントロールド・フィルター)にレゾナンスというつまみがあった。
シンセサイザーの発信器が音を発信するとき、正弦波や矩形波、ノコギリ波などを発する。
正弦波はほとんど倍音を含まない。一方で矩形波やノコギリ波はある程度の倍音を含んでいる。
その倍音のうち、カット・オフ・フリークエンシーは、ある周波数以上の倍音をカットするように設定できるつまみだ。
そして、レゾナンスは、残った倍音のうち、どの倍音を特に響かせるのか、どの周波数に共鳴するようセットするかを調節するつまみだ。
このふたつを上手にセットすることで、いろんな楽器の音が再現できる。
また、このふたつをうまく時間的に変化させると「ポワ」とか「ピュヨ」という面白い音が出せる。

金管楽器を演奏する人は、倍音というものがどういうものか知っている。
たとえば、「ド」のポジションで、
ド、ド、ソ、ド、ミ、ソ、シ♭、ド、レ、ミ
と鳴ることを知っている。
唇を緊張させて音を高くして行くと、バルブを操作して管の長さを変えなくても、このような音程の変化を得ることができる。
これがすべて倍音である。
ド、ド、ソ、ド、ミ、ソ、シ♭、ド、レ、ミは、順に基音、第二倍音、第三倍音、第四倍音、第五倍音、第六倍音、第七倍音、第八倍音、第九倍音、第十倍音となっている。
これは、管の中をこんな風に振動している。

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この倍音が基礎となって、純正律と言う音階ができる。
純正律は周波数の割合が以下のようになっている。

ド   レ   ミ   ファ  ソ   ラ    シ    ド
 8:9  9:10  15:16  8:9  9:10  8:9  15:16

僕たちが普段ピアノなどで聞いている音階は平均律。
平均率と純正律は微妙に違うがその微妙な差が大きな差でもある。
音階を聞いても普通の人にはその差はほとんどわからない。
音楽の特殊な訓練を受けた人ならわかる。
純正律は音階の振動数が、それぞれ整数倍になるよう調節されている。
一方で平均律は、オクターブのあいだですべての半音が同じ幅になるよう調節されている。
よって、半音ごとに2の12乗根を掛けて行くことで周波数が得られる。

たとえば、純正律ではド、ミ、ソ、シ♭は、すべて倍音なので、濁りのない和音になる。
一方で平均律のド、ミ、ソ、シ♭は、和音にするとうなりを生じる。

純正律で演奏すると、天使の歌声が聞こえると言われている。
倍音同士が共鳴して、出している音以上に高い音が鳴っているように聞こえるから。
つまり、実際には鳴らしていない音が共鳴によって聞こえてくる。
しかし、純正律はなかなか演奏されない。
なぜなら、一音の幅が、音程の中で微妙に違うため、転調したとき、違う音になる。
たとえば、ハ長調のミとニ長調のレは、平均律では同じ音だが、純正律では違う音になるのだ。
だから、ピアノのような鍵盤楽器の際、転調すると正しい周波数を出せなくなってしまうので、演奏が難しい。そこで一般的には平均律で音階を習う。
純正律は完璧な響きをもたらす。平均律は、演奏を簡単にするために採用されているが、そのために完璧な響きは得られない。

ところで「完全五度の輪」というものがある。
ドから、完全五度ずつ音を上げて行くと、このようになる。
ド、ソ、レ、ラ、ミ、シ、ファ♯、ド♯、ラ♭、ミ♭、シ♭、ファ、ド
ドを528Hzとすると、完全五度は周波数を1.5倍ずつかけていくものとなる。
なので、この完全五度の輪にそって周波数を算出すると、以下のようになる。

ド   528
ソ   792
レ   1188
ラ   1782
ミ   2673
シ   4009.5
ファ♯ 6014.25
ド♯  9021.375
ラ♭  13532.0625
ミ♭  20298.09375
シ♭  30447.140625
ファ  45670.7109375
ド   68506.06640625

最後のドは、最初のドの七オクターブ上だ。
だから、2⁷=128で割ると550になるはずだが、実際にはならない。
ギリシャの人々はこれが大きな謎だと言い、この世界は完璧ではないが故に「神の世界ではない」と言った。
ドから始まり、ソ、そしてレまでは1.5倍の周波数にきちんとなっているのだが、それ以降は狂って行く。純正律の音の幅を丁寧に調べると理由がわかる。

音階という、一見簡単そうなものにも、実はこのような深い問題が隠されている。
それがレゾナンスを生み出したり、阻んだりしている。

ユングの本に『ヴィジョン・セミナー』というものがある。1930年から1934年までの講義録なのだが、そのなかにこんな話しが出てくる。

ヴィルヘルムの住んでいた地方でひどい旱魃がありました。何か月もの間、雨は一滴も降らず、事態は逼迫してきました。旱魃の悪霊を脅して追い払うために、カトリック教徒は聖歌を歌って行進し、プロテスタントは祈りを捧げ、中国人は神像の前で線香を焚き鉄砲を撃ち鳴らしましたが、どうにもなりませんでした。しまいに中国人が言いました。雨乞い師を呼んでこよう、と。そして、別の州から、干からびた老人がやって来ました。彼が要求した唯一のものは、とある場所に静かな小屋でした。そこに彼は三日間こもったのです。四日目には雲が雲を呼び、雪が降ることなど考えられない季節に大変な吹雪となりました。尋常ならざる大雪です。町はその不思議な雨乞い師の噂でもちきりだったので、ヴィルヘルムはその男を訪ねて、いったいどういうふうにしたのか訊きました。まったくヨーロッパ式にこう言ったのです。「人々はあなたを雨作り(レインメーカー)と呼んでいます。どうやって雪を作ったのか教えていただけますか」。すると、小柄な中国人は言いました。「わしは雪を作ったりはせなんだ。わしのしたことじゃない」「ならば、この三日間、あなたは何をしておいででしたか」「ああ、それは説明できる。わしは、ものごとが秩序のなかにおさまっているよその土地から来た。ここでは、ものごとが秩序からはずれておる。天の定めによるしかるべきあり方になっておらぬ。つまり、この土地は全域、タオからはずれているのじゃ。わしも、秩序の乱れた土地にいるがために、ものごとの自然な秩序からはずれてしもうた。だから、わしは、自分がタオのなかに戻るまで、三日間待たねばならなんだ。すると、おのずから雨がきたんじゃよ」。
(中略)
私は今みなさんとほかならぬこの問題を議論していて、庭では犬が吠え、自動車の通る音が聞こえ、鳥は歌っている、と。東洋なら、そういったことどもを数に入れるでしょうが、私たちはそれらを排除します。原因を探すのです。私たちは、その犬は猫を見つけたから吠えるのだ、と言います。しかし、 鳥が歌うのは、犬が吠えるからでも、私がここで講義をするからでも、自動車が通っているからでもありません。その自動車も、犬が吠えるから通ると いうわけではありません。つながりはないのです。これらのことは、独立にただ起きるだけです。それらが起きるのは単なる偶然です。私たちにとって、それは説明不要です。私たちはそういう問題を視野に入れることさえできません。一方、東洋人にとっては、これがいっさいを含んでいます。彼はそのことを一つの全体として理解するからです。犬は吠え、鳥は歌い、木々は緑で、自動車が通っている。このすべてが一つのアンサンブルをなしており、バラバラにできない経験なのです。彼は、そうした横断的な見方で、諸々の できごとの本質的で唯一のつながりを見ます。この瞬間にその犬が吠えるということは重要です。
『ヴィジョン・セミナー』ユング著より

つまり、あらゆることが一度に起きていますけど、その一度に起きていることを誰も一度に把握することはありません。ユングがいうヨーロッパ式に言うと、話の筋道ばかりを追いかけることだけに集中して、すべてを一度には把握していない。しかし、東洋の人は、ひとつの全体としてとらえているというのです。つまり理屈を追いかける必要がない。
この感覚と、レゾナンスという感覚と近いような気がします。
なぜなら、共振する波動によってあらゆるものが同時に表れるから。

2013年2月にメキシコ、チチェンイツァーに行きました。
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そこに二泊三日する予定でしたが、2日目の早朝、腹痛で倒れました
すると泊まっていた部屋の窓に大きな鳥がぶつかり死にました。
なんのサインだろう?と思っていたのですが、そのときはわかりませんでした。
翌日の朝、もう一度どうしてもチチェンイツァーを見たかったので、ふらふらしながらも身支度をしました。そこに電話がかかってきました。友人からでした。
共通の知人であるある霊能力者が死んだというのです。
昨日のサインはその人からのものだったのかな?と思った瞬間、頭の中でこうひらめきました。
「この世界が多次元であることに深く気づけ」
そう頭にひらめいた瞬間は、その意味がわかりませんでした。
なぜそんな言葉がひらめいたのか?
翌月、バリ島に行きました。ほぼ毎年のようにバリ島のニュピと言うお祭りに行ってます。
ニュピでは、ほぼ一日半、瞑想して過ごすのですが、そこに瞑想をしたことがないという人が一緒にニュピを過ごしたいとやってきました。
そこで、瞑想のやり方を教えました。
そのときに、先月チチェンイツァーで体験したことを話しました。
そして、話が終盤に差し掛かり、「この世界が多次元であることに深く気づけ」と頭に浮かんだことを告げました。そのとき「バン」と、何かが窓にぶつかる音がしました。
そのときはいったい何の音かわかりませんでしたけど、「もしそれが窓に鳥がぶつかった音なら凄いな」と、冗談で言いながら窓の外を見ると、そこに一羽の小鳥が死んでいました。
めまいがしました。
「この世界が多次元であることに深く気づく」とは、こういうことなのでしょうか?
翌々日のニュピにも鳥がガラス窓にぶつかり、数分間こちらに入ろうともがいていました。そういうことが二度も起きた。
鳥が窓にぶつかって死ぬという体験は、生まれてこの方したことがなかったのに、メキシコでして、バリ島でして、しかも死にはしないけど二度も小鳥がガラス窓からこちらに入ろうとしている。
これはいったいどういう体験なのか?
翌年、僕のはじめての小説『太一〜UFOに乗った少年』を出版し、20年ほど会っていなかった画家と再会します。彼の名はAKIRA。
ほぼ20年前、AKIRAのはじめての個展で僕たちは会いました。そのとき展示していた絵は、赤いアインシュタインと、青いアインシュタインという、二点の絵でした。
メキシコ、バリで体験してきたことをAKIRAに言うと、「わかった」というのです。
「何が?」と聞くと、青いアインシュタインの裏に言葉を書いたというのです。
彼はどこかからインスピレーションを与えられ、それを書いたそうです。
それが、
「きみたちはいずれ
いくつもの宇宙と
いくつもの自分に
気ずく時が
くるだろう

タイムマシンの窓より
アルバート・アインシュタイン」
という言葉でした。
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これはまさに「この世界が多次元であることに深く気づけ」と
同じ事を言っているのではないかと。

多次元で世界を見るというあるサイキックマスターに
メキシコから帰ってから会いました。
彼にこう質問しました。
もし人が、多次元に世界を見たり感じたりするようになったら、
どうなるのですか?

答えて曰く、
あらゆる他の存在を愛することが当たり前になる。

インターネットで世界がつながれて以来、
どんどん人と人との共振が激しくなっているような気がします。
このことと音や理学的波動との関係はなかなか説明しにくい。
しかし、どこかでつながっている気がします。
ますます多くの人が、多次元的な感覚に目覚め、
他の存在を愛することが必然の世界になっていくことを
楽しみにしています。

参加者S.Aさんからいただいたご感想
予想外に「場」の気が良いことに驚きました。
澤野新一朗さんの写真展で、とある作品を観た時に感じたような感覚なのですが、あのスタジオに入った途端、「酔ったような」というか、私の頭にある「見えないカッパのお皿」がプルプル震える感じとでも、申しましょうか。なので暫く、平和にぼーっとしていました。「場」を整えてくださっていたなら、ありがとうございました。

それと、福島さんから頂いた冊子を帰ってきて読んで、とても内容が濃くて面白かったです。ありがとうございます。

スピリチュアルという言葉って、一人歩きしている感があると思います。私は、サイキック能力がある事とその人がスピリチュアルであるかどうかは、また別の問題だと思っています。また、いわゆる「引き寄せの法則」にも懐疑的です。

今の日本は、出版されている本をはじめ、何か非常に勘違いしているように思います。ですので、今回のレゾナンスの会のような場の場合、話題の持っていき方、そのレベル(という言い方が妥当であるか否かはわかりませんが)の維持がすごく難しいと思いました。

私は、スピリチュアルな事はやはり不立文字である部分が大きいと思います。ですが、言葉なしでレゾナンスのイメージを共有していくのは難しいですよね。むしろ私は、皆さんがレゾナンスという言葉にどんなイメージを抱いているのか、それに対して、どう考えているのか等もお聴きしたかったです。

宝生さんがバリで体験されたお話を伺って、かつて私も自分の同様の体験をしたのを思い出しました。その時、私はある人との関係性について苦悩していたのですが、ある時、苦悩しながら、畳の上でのたうっていたのですが、突然、あるイメージに撃たれたのです。それは言葉にするとすれば「すべての愛を知れ」とでもいうような、立体の繊細なジャングルジムの様なイメージでした。そのイメージがばーんと頭の中に降ってきたのでした。その頃の私は、自分が悩んでいた関係やそのあり方を愛だとは、そのイメージがくるまで思っていなかったのです。。

参加者U.Mさんからいただいたご感想
倍音に興味があったので、そのことを理論的に解説していただき、理解が深まりました。波形や数値で見せていただき、わかりやすかったです。

それぞれの立場からの捉え方をお聞かせいただくことで、自分の視点が明らかになりました。人と人の関係、人が出している波動同士の共鳴みたいなところまで理解を深めたいです。

歓談、レクチャー、シェア、と、三部構成なのがよかったです。

楽器を使ったり、声を出したりするワークもやってみたいです。

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