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人の数だけ世界があると考えてみる

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僕はどんなに考えても他人にはなれない。だけど他人の気持ちになってみることはできる。

他人の気持ちになるというのはどういうことなのか?

チベット密教に曼陀羅とする瞑想がある。曼陀羅を見ながら、そこに描かれている菩薩や如来に同調する。そのとき自分は何を感じるのか? それを感じることで、環境や立場によって見えてくる物事が変わることを体験する。そういうことを何度も体験することで、自分がもしかしたら誰にでもなれる可能性を持っているかもしれないことを体感する。

このような修行は、それ以前にいくつもの前提を得た上でないとできないものだった。ところが最近では、修行ではないが、他人の気持ちになるための仕組みがたくさんできている。たとえば、小説、演劇、映画、テレビドラマなど。演劇の歴史は古いが、一度にたくさんの人が見られた訳ではなく、見ることのできた人は限られ、しかも年に多くても数回のことだっただろう。いまではその気になれば一日中でも見ていることができる。この頻度の高さが、他人の気持ちに共感するための訓練になっているのではないか。さらに、演劇や映画など、さまざまな役の気持ちに同調することで、同じ現実でも感じることは違うことがありありと体験できる。このことが人の共感能力を高めていると考える。

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