水のきらめき - 記事一覧
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発行日時 | 見出し |
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2023/1/25 23:52 |
YouTubeに出演してきました
![]() ![]() らうす・こんぶさんに誘われて、YouTubeに出演してきました。 らうす・こんぶさんは20年ほどニューヨークに住み、ライターと日本語教師として働いてきました。コロナの件で帰国しようと思い立ち、一年程前に帰国なさいました。ニューヨークはご存知のように人種のるつぼ。いろんな体験をなさったようです。その悲喜こもごもや「言葉」「農業」「これからの生き方」などをテーマにしてYouTubeで音声のみの番組をやっています。 タイトルは「昼間でも聴ける深夜放送こんぶラジオ」。 「詩やことばのお話をしましょう」と誘われて、たいした打ち合わせもなくお話ししてきました。 「人生の最初に出会った本は?」と聞かれて、小学生の頃に読んでうるうるした本の話をしたら、いまだにうるうるしてしまいました。僕の心は発達しとらんのか。w 今回は一回目で、続きがあるはずです。次回は詩についての話になる予定です。 ※2023年1月29日加筆 こんぶラジオ第二回の出演は以下の通りです。他の番組も面白いので聞いてください。 |
2022/9/7 16:49 |
ヌースフィアってなに?
![]() ![]() YouTubeで、「ヌースフィアってなに?」というシリーズを始めました。 フィジオスフィア(物理圏)、バイオスフィア(生物圏)、ヌースフィア(精神圏)について30年近く考えてきました。その内容を少しずつご紹介していきます。 ヌースフィアについて詳細な説明をしている「現象としての人間」の著者テイヤール・ド・シャルダンについては、こちらに簡単な紹介があります。 YouTubeのシリーズでは、テイヤール・ド・シャルダン以外にもヌースフィアについて考えた人たちについて触れていくつもりです。 |
2022/7/6 19:06 |
9人の写真家が見た水俣
![]() ![]() 2022年7月4日から7月30日まで、丸の内フォトギャラリーでおこなわれている「9人の写真家が見た水俣」展を見て来た。 9人の写真家とは、桑原史成、塩田武史、宮本成美、アイリーン M・スミス、石川武志、北岡秀郎、小柴一良、芥川仁、田中史子であり、それぞれに水俣をテーマとして、個性的な作品を撮影している。彼らの作品の一部が一堂に会している。 この写真展には目的がある。それは、この9名の写真家たちの作品、総作品数にすると20万点以上になるそうだが、それら60年にもわたるアーカイブを作ること。各作品のテーマの根元にはもちろん水俣病がある。 塩田武史氏はすでに鬼籍に入られ、他の写真家もすでに高齢だ。9名の中で一番若い石川武志氏・アイリーン M・スミス氏でも70を越えている。 石川武志さんにお話しを聞いた。写真家はそれぞれ個性的なので、アーカイブを作るための意見の統一が難しいそうだ。たとえば、すでに発表した写真集がすべてで、それ以外の作品が表に出るのはよしとしない人、もし見てもらえるならどんな作品でも喜んで見てもらいたいという人、作品を観てもらうのにその前後にまつわる物語を発表したい人、または知られたくない人。これから、どのようなアーカイブにするのか、意見交換しながら実現していくそうだ。それぞれの写真家にとって、理想的なアーカイブを実現するためには、今が時期だということ。 この展覧会は熊本では6月におこなわれていた。そのときのニュースのアーカイブなどが検索すると出てくる。 ![]() ![]() ![]() |
2022/4/2 0:54 |
ぐるり。
![]() ![]() 尾山直子さんの「ぐるり。」を、世田谷ものづくり学校に見に行った。 ![]() 尾山さんは訪問看護師をしている。 訪問看護で同僚が担当した「えいすけさん」とその家族の写真を撮影していた。それを「ぐるり。」で披露している。 「ぐるり。」は去年の12月、世田谷美術館分館の清川泰次記念ギャラリーで展示されていた。そこに見に行きたかったのだが、体調を崩して入院し、見に行けなかった。 ひとつ思い出した風景がある。僕が小学生の頃、近所の友達の家が農家で、大きな畑と庭を持っていた。よくそこで遊ばせてもらった。夏にはアリジゴクがアリを捕らえるのを見るのが好きだった。その庭を見渡す縁側の奥に大きな部屋があった。そこにある日から、おばあちゃんが寝るようになった。友達からは「もうすぐ死ぬのだ」と聞いた。以来、静かにしなければと、その庭では遊ばなくなった。友達を呼びに行くのもひっそりと静かに呼ぶようになった。一年くらいしておばあちゃんは亡くなった。もうその庭では、以前のようには遊ばなくなった。 「ぐるり。」は写真展で、写真の展示だけだと思っていたが、モデルとなった「えいすけさん」の言葉が、会場のまんなかに置かれていた。いまはもういない「えいすけさん」の言葉をひとつひとつ読んでいくと、いないはずの「えいすけさん」が、心の中に灯る。そのかすかな灯りが、僕の人生を彩ってくれたいろんな人たちと反射し合う。 ![]() ![]() 「えいすけさん」の合掌が沁みた。 「えいすけさんとその家族」と、作家である尾山直子さんとの関係が、作品から匂い立つ。 |
2021/9/26 2:47 |
映画「MINAMATA」ってどう?
![]() ![]() 週刊金曜日の2021年9月17日号に「映画『MINAMATA』から消された人物が語るユージン・スミス」という記事を書きました。7ページの扱いです。 それを書くために映画『MINAMATA』の試写会に行き、ユージン・スミスの写真集『MINAMATA』を見て、インタビューした石川武志さんの作品集も見ました。すると、いろいろと映画『MINAMATA』の問題点がわかってきました。それぞれの写真集に添付されていた年表を丁寧に見ていくとそれがわかります。 これ以降はネタバレがありますので、嫌な方は読まないでください。 映画としてはよくできていると思います。ユージン・スミスの写真集『MINAMATA』を読み込んで映画を見ると、とても引き込まれます。写真集の作品が動画になっていたりします。この部分は写真集を前もって見ていない人にはわからないでしょう。ユージンの『MINAMATA』以外の写真集からも引用されているので、ユージンの写真をよく見てから映画を見ると、感動の度合いが違うと思います。 制作チームが訴えたいポイントもはっきり表現されていて、それはフィクションを見るという点では、いいことだと思います。しかし、この映画はノンフィクション的に作られていますので、映画で見せられたことがすべて事実かというと、かなり違う点があるので要注意です。
そもそもインタビューした石川武志さんの役が映画には出てきません。石川武志さんはユージン・スミスが水俣にいた三年間、助手を勤めていたかたなのです。映画の宣材写真の多くも石川さんが撮影したものを使用しています。ジョニー・デップがユージン・スミスを演じている写真もあり、それは石川さんの作品ではないですが、本物のユージン・スミスを撮った写真はほぼすべて石川さんの作品で(どこかに確認したわけではないので、すべてかどうかはわかりませんが、僕が見た範囲ではすべてでした)、その多くは石川さんの写真集『MINAMATA NOTE』に掲載され、写真のどこかに©Ishikawa Takeshi と入っています。 物語としてはとても面白かったです。事実と起きることの順番が違うのですが、三年間の取材期間をニ時間程度に縮めるのですから、ある程度のことには目をつぶらなければなりません。でも、と首を傾げたくなる点がいくつかありました。 もっとも大きいのは、「チッソ」と社名を出しながら、「チッソ」がしているという証拠のない「賄賂を送ろうとする」「放火する」などの出来事を、物語の中に織り込んでいることです。チッソ(現JNC)は困るだろうなと思います。事実を知らない、映画だけを見た人は、きっとそれが事実であると勘違いするでしょう。そこが一番の問題です。 もうひとつの問題は、映画の最後でユージン・スミスが暴力を振るわれて怪我をするシーンがありますが、あの暴力事件は現実には五井事件と言います。千葉県の五井工場であった事件です。でも映画では、水俣の工場で起きたかのようでした。実際の事件では、ユージンにそれほど外傷はなかったそうです。だから、ラストシーンにでてくる包帯グルグル巻きのユージンはフィクションです。現実には、沖縄戦を取材したとき爆撃され、大けがをした爆弾の破片がまだ体内に残っており、それが五井事件の打撲で神経を圧迫するようになり、調子の悪いときには手が上がらなかったりしたそうです。そのときどきで症状が違うので、他人から見ているとその苦しみはよくわからなかったそうです。石川さんのようにずっと一緒にいると、もうあまり長生きはできないだろうと感じていたそうです。 ラストシーンの入浴シーンは、現実には五井事件の前に撮影されました。なので、そういう意味でもあのシーンの包帯グルグル巻きはフィクションです。 物語としてはとても面白いので、見るべきだと思います。ただ、あれがすべて事実だと思い込むと、間違いが生じるでしょう。あの映画を見て水俣に興味を持った人は、事実が何かを調べてみてください。石川さんのインタビューの内容については、週刊金曜日をご覧下さい。 |
2021/7/26 14:24 |
ピラミッド社会から球体社会へ
![]() ![]() ネットができて、互いに共感し合えるコミュニティがたくさんできた。そういうコミュニティはたいていピラミッド構造にはなっていない。互いの距離がほぼ一致した球体社会と呼んでいいものだと思う。それはまたの名を共感社会とも言えるだろう。 一番わかりやすい球体社会は、最近の家族だ。最近のいい家族はあまりピラミッドのようにはなっていない。かつては父権制とかいって、父親が頂点のヒエラルキーを作っていた。でもそんなのは日本人にはしっくりこなかった。いまの自民党はそれに戻そうとしているようだが、きっと失敗するだろう。現代は球体社会に向かっている。共感社会に向かっている。だから、父親は妻や息子や娘の言うことをなるべく聞くように頑張ってしまう。権力があるのは金を握っている父親だろうが、最近は母親も共働きで金を握っている。頂点がひとつのヒエラルキーにはもうなれない。ヒエラルキーを作ろうとする家族は崩壊しやすい。崩壊とは、簡単に言えば離婚のことだ。だから、円満な家族はあまりヒエラルキーを目指さない。自然と球体社会を目指す。みんなの意見を聞くようになる。
会社でこれをするのはまだ難しいだろう。でも、少しずつそっちの方向に向かっていくと思う。そのためには、各メンバーが意見を言い合わなければならない。でも、「・・・しなければならない」という言葉が問題だ。するべきときにして、しなくてもいいときはしなければいい。それだけだ。でもそれが難しい。 そういう関係性のグルーブは、まずは小さいところからしかできないのだと思う。小さなグループでそれが成功したら、それを少しずつ拡大していく。だから最初の小さな社会は、球体社会と言うよりは、泡社会とでも呼ぶべき小さなものだろう。泡が成功したら、それをシャボン玉のように膨らます。下手に膨らますとすぐに破裂する。でも、このさじ加減を知ることが僕たちには大切なことなのではないかと思う。このときに大切なのは陰と陽。いいこともあれば、悪いこともある。いいことがあっても図に乗らない。悪いことがあっても過度に悲観しない。多くの泡社会ができればできるほど、球体社会に脱皮していくものが増えていくだろう。トライアンドエラーの例が増えていくから。 インターネットができたばかりの頃、あちこちでコミュニケーションが炎上した。文字だけのやりとりで感情的なことをどのように伝えるか慣れていなかった。つい互いに感情が炎上して、いまより余程激しい炎上があった。いまはないわけではないが、かつてのようなものではないだろう。 互いにうまく感情のやりとりをして、楽しく球体社会を作れるようになりたいものだ。そのことを通して、会社や地域社会や、国なども変わっていくのだと思うし、そうであって欲しい。 ピラミッド社会を維持しようとするひとは、手放した方がいいと思う。球体社会を目指す人は、ピラミッド社会を目指す人を攻撃するのではなく、あなたの泡に含めて上げて欲しい。泡がはじけてしまうことに注意して。 |
2021/1/13 11:12 |
2021年1月13日の夢
![]() ![]() 今朝、また不思議な夢を見た。内容はこんなことだ。 — 僕はある企業経営者Mに会った。彼の本を作るために。しかし、彼はとても苦しんでいる。なぜなら、彼のことを正しく理解してくれる人がいないから。そこでなぜか僕が呼ばれた。彼の話を聞く。 彼は幼い頃は貧乏で苦労した。しかし、勉強を続け、留学し、大企業に勤務して独立し、自分の会社を作った。 小さな会社は苦労の連続だ。いつ淘汰されるかわからない、そういう会社でも、彼の創造力によって次第に大きな会社になっていった。だけど、ここに問題が生まれた。大きな会社になればなるほど、理不尽な依頼が来るようになる。
はじめは許容できるがそんなことはしたくはないなと思うレベルの依頼だった。しかし、会社を安定させ、大きくするためには仕方ないと判断し、それをする。すると次の、許容したくはないが仕方なくするべきことがやってくる。次には許容できないが、もうすでに許容してしまったことを破棄するわけにはいかないので、嫌だなぁとは思いつつするべきことがやってくる。なにしろそれをしなければ倒産しかねない。社員を守るためだと我慢してやった。 ところが、このレベルになってくると、自分の会社や業界の人からは理解されても、社外や業界外の人からは「おかしなことをしている」と思われるような内容になっていた。 「これを一般の人には伝えるわけにはいかないな」と思っていたところに、ある事件が起きて、そのことが社外に出てしまいそうになる。それをマスコミの人たちは守ってくれた。とてもありがたいと思った。 ある日、ある集まりに招かれる。それは一般の人には伝えるわけにはいかないさまざまな問題を抱えている企業代表の集まりだった。そこは互いの問題をシェアしてなんとか解決を図るために作られた会Zだった。当初はうまくいっていた。Zに参加した経営者はみな安心した。自分と同じような悩みを抱えている人たちがたくさんいたから。Zはそのような一般に知られてはならない内容を集めて保護することが商売になった。 はじめは善意だったかもしれない。しかし、ちょっと見方を変えると、それをしないと一般に内容がばれてしまうという脅迫のようにも思えなくはないようになっていった。そして、Zの代表が何人か変わると、それは本当に脅迫になってしまった。 「きちんと寄付金を払わないと、あなたの企業の秘密は公になってしまいますよ」 MさんはZに苦情を言う。おかしいだろうと。すると、Mさんの企業の秘密が漏れ出ていった。 一度大衆が誤解をすると、その誤解はそう簡単には解けない。そういう状態の中、Mさんはなんとか経緯を説明するために本を書きたいと言いだした。しかし、Zのことを公にすると、そこに参加しているほかの企業についても批判することになる。 さて、僕には何ができるだろう? そこで目が覚めた。重い夢だ。 |
2020/12/25 11:49 |
紅龍さんの大愛瞑想
![]() ![]() 伊勢神宮の月次祭にはじめて参列したのは、2008年6月だった。そのときの様子はこちらに書いた。 紅龍さんは2012年頃から國學院大學に入学され、神道の研究を本格的に始めた。首席で卒業して神職にもなった。ところが、次に何をしようかと考えていたとき、大愛が降りてきた。大愛とは、ある心の状態。そのことについていろんな人にお話ししていくうちに、大愛瞑想という形にして、瞑想ワークショップをするようになった。それは瞬く間に広がり、全国で開催され、紅龍さんは大忙しになっていった。 2018年からレゾナンスCafeで一緒に初詣に行くことにしていた。2019年の初詣も、紅龍さんと一緒に行くはずだったが、体調が悪いということで、欠席なさった。 それからまた一月後くらいに会いに行った。とてもやせていて、歩くのも大変のようだった。それから何度かお見舞いに行ったが、なかなか良くはならなかった。 すっかりやせて、彼女も死を覚悟した頃、「大愛瞑想を本にして」と頼まれた。 紅龍さんは2019年9月27日、永眠なさった。 約束の本はできたが、出版社が決まらなかった。亡くなって一年がたっても決まらない。あまり先延ばしにするのはよくないなと判断して、できた本をepubにして、大愛瞑想に参加していた人たちを中心に配布することにした。 紅龍さんがこの世に遺していったプレゼントです。ぜひお読み下さい。 これを読むためにはepub用のリーダーアプリケーションを入手してください。 pdfで読みたい方はこちらです。 |
2020/11/30 11:03 |
10月9日の夢
![]() ![]() 10月9日の早朝、夢を見ました。そのことをFBに書きました。 今朝もまた、不思議な夢を見ました。 僕がノーベル文学賞を取れないのは理由がある。僕はその理由を知っているような気がする。 |
2020/6/26 10:29 |
気持ちが動くこと
![]() ![]() 『日刊 気持ちいいもの』というメルマガをほぼ毎日書いている。
これを書いたあとで、ヒーリング・ライティングのくだりは消した。 |